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ブログについて
映画やTVドラマなどを観ていて、その中で流れてくる音楽、撮影に使われた建築やセットのデザイン、舞台の背景となるインテリア、登場人物が手にしているガジェットやプロダクトなどが気になったことはありませんか?
このブログでは、映画やTVドラマの中に登場するさまざまなものを調べて紹介していきます。そうしたものにも目を向けてみると、映画やTVドラマが今まで以上に楽しくなるはずです。映画、TVドラマ、音楽、建築、インテリアのどれかに興味がある方に、また自分と同じようにそのどれもが寝ても覚めても好きでたまらないという方に、面白いと思ってくれるような記事を発見してもらえたらという思いで書いています。
執筆者:伊泉龍一(いずみりゅういち)
ブログ以外には、以下のような書籍の翻訳をしたり、本を書いたりもしています。
ショーン・レヴィ著 伊泉龍一訳
『レディ・ステディ・ゴー! 60sスウィンギン・ロンドン』
伊泉龍一 (著)
『スピリチュアリズムの時代 1847-1903』
ポール・ガンビーノ (著), 伊泉 龍一 (監修, 翻訳)
『死を祀るコレクション:モダン・ゴシックという生き方、その住まい』
ドン・ラティン著 伊泉 龍一訳
『至福を追い求めて ―60年代のスピリチュアルな理想が 現代の私たちの生き方をいかに形作っているか』
ロバート・C・コトレル 著 伊泉 龍一 訳
『60sカウンターカルチャー ~セックス・ドラッグ・ロックンロール』
ドン・ラティン 著
『ハーバード・サイケデリック・クラブ ―ティモシー・リアリー、ラム・ダス、ヒューストン・スミス、アンドルー・ワイルは、いかにして50年代に終止符を打ち、新たな時代を先導したのか?』
デヴィッド・ヘップワース 著
『アンコモン・ピープル ―「ロック・スター」の誕生から終焉まで』
サラ・バートレット 著
『アイコニック・タロット イタリア・ルネサンスの寓意画から現代のタロット・アートの世界まで』
映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』の中のジミ・ヘンドリックスの「ヘイ・ジョー」と1960年代後半のアメリカのカウンターカルチャー

前回は、映画『フォレスト・ガンプ/一期一会(Forest Gump)』の中で、ジミ・ヘンドリックス・イクスピアリアンス(The Jimi Hendrix Experience)の1968年の曲「オール・アロング・ザ・ウォッチタワー(All Along the Watchtower)」とバーズ(The Byrds)の1965年の「ターン!・ターン!・ターン!(Turn! Turn ! Turn!)」が使われている場面を観てみました。
その際に述べましたが、映画『フォレスト・ガンプ』では主人公のフォレストの人生の時期に合わせて、その時代を象徴する有名な曲が使われています。
今回は、ジミ・ヘンドリックス・イクスピアリアンスの1966年12月16日にイギリスでファースト・シングルとしてリリースされた曲「ヘイ・ジョー(Hey Joe)」が、映画『フォレスト・ガンプ』の中で使われている場面を観てみたいと思います。
映画の場面の前に、まずはジミ・ヘンドリックス・イクスピアリアンスが演奏する「ヘイ・ジョー」を、以下の動画でご覧ください。最初に言っておきますが、ギターを歯で弾いたり、頭の後ろで弾いたり、ジミ・ヘンドリックスのお馴染みの奇抜なパフォーマンスが観られますのでお見逃しないように。
ジミ・ヘンドリックスのギターのプレイに圧倒されることは言うまでもありませんが、しばしば映し出されるドラマーのミッチ・ミッチェル(Mitch Mitchell)の優雅かつスピーディーなプレイにも目を奪われませんか?
ジミ・ヘンドリックスの残っている動画にはありがちなように、この動画もギターの音がやたらと大きくて、あちこちでドラムの音がかき消されてしまっています。それでも実際にドラムを叩いているミッチ・ミッチェルの動きを観ながら、終盤になって増していく鮮やかなフィルを聴くと、そのシャープで素早いドラミングが、いかにジミ・ヘンドリックスの革新的で自由奔放なギターのスタイルといかに相性が良かったかが伝わってきます。
ちなみに、RollingStoneの2016年3月31日の記事‘100 Greatest Drummers of All Time’でも、史上最も偉大なドラマーの8位にミッチ・ミッチェルは選ばれています(ちなみに、1位に選ばれたのはレッド・ツェッペリンのジョン・ボーナムです)。そう、クラシック・ロックのファンの間では、ミッチ・ミッチェルはその一般的な知名度をはるかに越える形で、偉大なドラマーとしての非常に高い評価を得ているのです。
また、DRUM!の中のANDY DOERSCHUK氏の記事‘Mitch Mitchell: The Hendrix Years’では、ミッチ・ミッチェルがいかにロック史の中で重要なドラマーであったかが次のように評されています。
「60 年代後半のめまぐるしい数年の間に、ロックのドラミングのルールをあまりにも完全に書き換えてしまい、状況を一変させてしまった人物がただ 1 人だけいる。……緩やかでファンキー、あるいはシャープで正確、あるいはソフトでスペイシー、轟音のようなバックビートもしくはかすかなささやき―― その全てを1 曲の中に含めることができる。 それまでのロックのドラミングにはこのような深みはなかったので、その影響はきわめて大きかった」。
他にもミッチ・ミッチェルに高い評価を与えている記事は、いろいろとありますが、それらを読んでいると、ますますミッチ・ミッチェルのことに興味が湧いてきて、もっと調べて書きたくなってしまいます。ですが、本題からそれてしまうので今回は我慢しておきましょう。
では、映画『フォレスト・ガンプ』で、ジミ・ヘンドリックス・イクスピアリアンスの「ヘイ・ジョー」が流れてくる場面を、以下でご覧ください。
前半のシーンでは、当時のブラック・パワーを代表する政治組織であるブラック・パンサー党(Black Panther Party)のメンバーの一人が、トム・ハンクス(Tom Hanks)演じるフォレスト・ガンプに説教をしています。ですが、ロビン・ライト(Robin Wright)が演じるジェニーを目で追っているフォレストの耳に、その言葉はまったく入っていないようです。突如、ジェニーが恋人のウェスリーから思いっきり殴られます(ウェスリーは、当時のアメリカで激しく反戦運動を繰り広げていた全国的な学生運動組織、SDS(Students of a Democratic Students)のメンバーです)。それを見たフォレストが、愛するジェニーを守るために、狂ったようにウェスリーを殴り続けます。そして、そのフォレストの怒りと暴力が始まる瞬間に、背景で流れていた「ヘイ・ジョー」の音量が一気に上がります。
「ヘイ・ジョー」の歌詞を知っている方であれば、この場面にはそれなりにふさわしい曲だと思われたでしょう。というのも、「ヘイ・ジョー」の歌詞は、ただ文字通りに解するならば、他の男と浮気した妻をジョーが銃で撃ち、メキシコへ逃げるという内容なのです。女性に対する男の理不尽な暴力のシーンに対して、「ヘイ・ジョー」が重ね合わせられているのは、その歌詞の内容からするとぴったり合っているわけです。
それにしても、妻を銃で撃ち殺して南へ逃げるという歌詞ってどうなんでしょう? 今これを書いている2023年に、この種の歌詞の曲がリリースされたとしたら、果たして一般に受け入れられるのでしょうか?
仮に日本の有名なシンガーが、いきなりこの種の歌詞のシングルをリリースしたらと想像してみてください。かなり激しく叩かれそうな気がしないでもありません。そもそもJ-POPの大ヒット曲の多くが、人と人の心温まるつながりやジーンとくる感謝の思い、または愛する人への気持ちを切々と綴った歌詞、あるいは勇気や元気を与えてくれる歌詞であることを考えてみると、大手の音楽会社からはリリースすらできなさそうな気もします。
ですが、60年代後半には、そんな歌詞にもかかわらず、「ヘイ・ジョー」が確かに驚くほど流行っていたのです。
ここで「流行っていた」と言ったのは、そもそも「ヘイ・ジョー」は、ジミ・ヘンドリックス・イクスピアリアンスのオリジナル曲ではなくカヴァー曲で、しかも60年代後半には、バーズやラブ(Love)やシェール(Cher)などの他の有名なミュージシャンたちもカヴァー・ヴァージョンを録音しているからです。しかも、その後も現在に至るまで、多数のアーティストによって何度も繰り返しカヴァーされています。
かなりの数のカヴァーが存在することは容易に想像できるとはいえ、実際のところ、いったいどれぐらいの数があるのでしょうか。気になったので、カヴァー曲のデータベース SecondHandSongsで調べてみました。すると、現在の時点(2023年7月21日)で、そこに掲載されているだけでも、なんと436ものヴァージョンがありました!
なぜ、これほどまでに多くのアーティストが、「ヘイ・ジョー」をカヴァーするのでしょう。しかも、歌詞の意味をそのまま受け取るとしたら、どうしたって心地の悪い内容なのにもかかわらずです。個人的には、どうにも不思議に思えてならないのです。
それはそうとして、これほど多数のカヴァーが生まれているということを知ると、オリジナル・ヴァージョンを聴いてみたくなりませんか?
ですが、60年代の音楽に詳しい方ならご存じかもしれませんが、60 年代初頭のニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジのフォーク・シーンの一員だったビリー・ロバーツ(Billy Roberts)によって1962年にアメリカで「ヘイ・ジョー」の著作権登録がされているとはいえ、この曲のオリジナルの作者を巡っては、少々やっかいな論争もあるのです。ということもあり、このことについて書き出すと長くなりそうなので、「ヘイ・ジョー」の原曲についての話は、機会を改めます。
ところで、以前に一度観た映画をしばらく後に観てみたら、その感じ方がずいぶん変化したという経験はありませんか? 実は、今回の記事を書く前、『フォレスト・ガンプ』をかなり久しぶりに観てみたところ、まさに私自身がそう感じてしまいました。
確かに、風刺や皮肉、愛や悲しみとの間を行ったり来たりするこのコメディ映画には、笑いも涙も感動も与えてくれる名シーンが多々あります。それにもかかわらず、昔は気にもしなかったはずのさまざまな箇所に違和感を感じてしまい素直に楽しめなくなくなってしまいました。
その一つが、映画『フォレスト・ガンプ』の中でのアメリカの歴史的・政治的な出来事の描き方です。
例えば、先ほどの場面にも登場するブラック・パンサー党やSDSのメンバーのような政治的な急進派の若者たちと、それとは異なる価値観を持ち、意識の拡張の方に焦点を合わせた非政治的なヒッピーたちを一緒くたにして当時のムーヴメントを非常に単純化した上で、それらをパロディ化して描いています。もちろん、コメディ映画なので、それでもいいと言えばいいのかもしれません。
ですが、それでも気になってしまうのは、それとは対照的に描かれている主人公のフォレストの姿です。フォレストは政治や社会や文化の動向にまるで無頓着なまま、ただ幼い頃からの個人的な愛、すなわちジェニーへの思いだけを考え続けています。そして、その姿を一途で無垢な生き方として描き、ただひたすら美化しているように思えてしまう点が、どうにも引っかかってしまうのです。
こんな風に思うのは、自分だけのはずがないと思い、本国の批評家たちの見解はどうなのだろうと今回改めて調べて見ると、『フォレスト・ガンプ』に対する非常に辛口の意見もありました。しかも、批判的な見方は、どうやら公開当時よりも、時の経過と共に増えてきたようです。
実際、Filmの中のJOE ROBERTS氏の記事‘Tom Hanks Pinpoints One Line In Forrest Gump That Gives The Film ‘Undeniable Heartbreaking Humanity”では次のように述べられています。
「ロバート・ゼメキスのコメディ・ドラマは 、その1994 年のリリース時点では非常に好評だったようで、尽きることのない賞賛の中で、どんな異議も見つけることを難しくさせていた。 ……だが、時間の経過とともに、映画に対する態度は変化したか、あるいは少なくともより多様になったが、それには十分な理由がある。 映画の冒頭で浮かぶ羽のように、ガンプは初めから終わりまで、ある経験から別の経験へとただ押しやられている――本当の主体性を示さず、ある種の実存の観光客を務めている――だけだ」。
そう、フォレスト・ガンプは、社会的な出来事のただの傍観者であり、何の主義も主張もなく、何も作為も意図もなく、ただ状況の流れに身を任せるだけです。それにもかかわらず、たびたびの幸運が訪れ、戦争の英雄となり、富豪にすらなり、よくわからないまま投資家にすらなります(アップル社に投資します)。
このフォレスト・ガンプの主体性のなさに関して、IndieWireの中の記事‘‘Forrest Gump,’ 25 Years Later: A Bad Movie That Gets Worse With Age’で、ERIC KOHN氏が次のように評しています。
「彼は人種差別やベトナムの複雑さを決して理解していない。 この映画は、政治活動とヒッピー・カルチャーをフォレストの理解を超えた巨大な風刺画として描きながら、彼の非政治的立場をあらゆる美徳の極みとして提示している……今日から見ると、「フォレスト・ガンプ」にはサイエンス・フィクション映画の不気味なオーラがあり、さまよう中心人物は、周囲の世界のあらゆる意味のある側面を異質なものとして認識する異星人のように見える……」。
こうした批判の中で指摘されていることの一つは、やはりアメリカの20世紀後半の複雑な歴史を過度に単純化しているという点です。
ミシガン大学のメディア・カルチャーのダニエル・ハーバート教授は、「この映画は……途方もない動乱の複雑な歴史上の出来事を単純化」し、それを社会的な出来事を何も理解せず生きているフォレストの経験を通して提示することにより、「知的考察を犠牲にして、感情的に感じられるものとして歴史を位置づけている」と述べています。(引用は、CNN entertainmentの中のBrandon Griggs氏の記事‘Why we loved – and hated – ‘Forrest Gump’’より)
確かに、映画『フォレスト・ガンプ』では全編に渡って、その歴史の中の出来事の持っている意味を考えさせることなく、しばしば風刺の対象として扱われています。例えば、先ほどのシーンに登場するような若者たちの反戦運動が、ベトナムからの撤退を支持する方向へ世論を向かわせるのに、どれほど貢献したのかという歴史的な意義についても、まるで触れられることはありません。
また、それと関連して気になったのは、ロビン・ライトが熱演したフォレストの幼なじみのジェニーの人生の描かれ方です。やがて彼女はヒッピーとなり、反戦運動に参加するのですが、まったく運に恵まれません。しかも映画を観ていると、あたかも当時のカウンターカルチャーの側に与する道を選んだことが人生の中で起こるさまざまな不運を招いているかのようにも見えてきます。
以下の動画で、ヒッピーになったジェニーの姿をご覧ください。シンガーを目指しているジェニーが路上でギターを弾いています。
この点に関して、ハーバート教授は、「フォレストもジェニーも、その時代の最も注目すべき歴史的出来事の多くを経験しているとはいえ、ジェニーの反体制的な生き方が非常に魅力を欠いているように見える」と述べています。しかもそれによって、この映画が「非常に保守的な政治的立場を宣伝しているようだ」とも指摘しています(引用は、CNN enteertainmentの中のBrandon Griggs氏の記事‘Why we loved – and hated – ‘Forrest Gump’’より)。
また、オークランド大学のハンター・ヴォーン教授も、この映画に含まれている保守的な政治的立場を次のように指摘しています。「その英雄的行為そのものが完全に無意識的で無自覚である主人公についての気さくで陽気な物語の中」に、この映画は「その政治的保守性を隠している」(引用は、CNN entertainmentの中のBrandon Griggs氏の記事‘Why we loved – and hated – ‘Forrest Gump’’より)
実際のところ、この映画は、とりわけ保守派の人々からの受けが良いようです。National Review Onlineの2009年2月23日の記事‘The Best Conservative Movies’では、過去25年間の映画で保守派が好むベスト25の中で『フォレスト・ガンプ』を4位に選んでいます。
さらに、LA Weeklyの中の2014年9月2日の記事‘We Need to Talk About Forrest Gump’では、映画批評家Amy Nicholson氏が、『フォレスト・ガンプ』での戦争の描き方に対して、以下のようなかなり痛烈な批判を述べています。
「『フォレスト・ガンプ』の勝利について 20 年経った視点から見ると、90 年代の観客は、戦争に関する全ての悪いことを無視しても――さらに名誉なこととしても――OKであると主張している映画を見て安堵したのだという感覚を覚える。……フォレストは誰も殺さない。彼はPTSDにはならない。 彼はなぜベトナムにいるのかさえ分からない。この映画は議論を蒸し返すことを非常に恐れていて、反戦集会でアビー・ホフマンがフォレストにマイクを渡すと、誰かがスピーカーのプラグを外して彼の声が聞こえなくなる――何も言うべきことのない映画にはふさわしい。……トラウマを抱えた退役軍人たちが再び故郷に帰ってきている今、無知は至福であるというフォレスト・ガンプの陽気な解決策に怒りを感じる」。
こうした本国の批評家たちの手厳しい意見を読んでいると、『フォレスト・ガンプ』を久しぶりに観た際に、自分の中で感じたもやもやした気持ちの理由がかなり明瞭になりました。
念のために言っておくと、監督のロバート・ゼメキスや脚本家のエリック・ロスを始めとする製作者たちや主演のトム・ハンクスが、あえて意図的に保守派の政治的な価値観を映画の中に盛り込んで観る者に押し付けているいうことを言いたいわけではありません。意図的であるかどうかにかかわらず、もっと言えば、そんな意図はまるでなかったのだとしても、結果的にそう見えてしまう可能性もあるということです。
さらに公平を期して言うと、プロデューサーのスティーヴ・ティッシュ(Steve Tisch)は、オスカー作品賞を受賞した際、こう述べています。「『フォレスト・ガンプ』は政治や保守的な価値観についてのものではありません。 それは人間性、敬意、寛容、そして無条件の愛についてです」。(引用は、MFS Modern Fiction Studiesの中のThomas B. Byers氏の記事‘History Re-membered: Forrest Gump, Postfeminist Masculinity and the Burial of the Counterculture.’より)
また、 ハンクスもその意見を共有していて、「この映画は非政治的」であり、それゆえ「中立的(nonjudgemental)」であると述べています。(引用は、TIME MAGAZINE U.S.の中のRICHARD CORLISS氏の記事‘SHOW BUSINESS: The World According to Gump’より)
ロバート・ゼメキス監督も、この映画の主題が政治ではなく愛にあるということを強調し、次のように述べています。
「私がこの物語に魅力を感じたのは、さまざまなタイプの愛についての物語だということです。友人同士の愛、母親と息子たちの間の愛、息子と母親の間の愛、ロマンチックな愛、友情……そこにはこの素晴らしい要素全てがありました 」。(引用は、Filmの中のJOE ROBERTS氏の記事‘Tom Hanks Pinpoints One Line In Forrest Gump That Gives The Film ‘Undeniable Heartbreaking Humanity”より)。
ここで改めて映画『フォレスト・ガンプ』のトレイラーをご覧ください。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を始めとするロバート・ゼミキス監督作品ではお馴染みの作曲家で指揮者のアラン・シルヴェストリ(Alan Silvestri)による、いかにもアメリカ映画らしい仰々しく情動を煽る音楽が流れていることで、同映画をご覧になっていない方でも、このトレイラーを観ただけで波乱の人生の中の愛と悲しみと喜びを描いた感動作であるということがひしひしと伝わってくるはずです。
今回は映画『フォレスト・ガンプ』に対する辛口の批評をあれこれ並べてしまいましたが、未見の方は、ぜひ一度実際にご覧になってみてください。結局のところ、映画『フォレスト・ガンプ』の中の物語の背景として流れてくるユーモアと皮肉を込めた歴史の再現を、どう受け取めていくかということで、いろいろな意見や解釈が生まれてくるのではないかと思います。
それはそうと、現在Netflixで配信されているブライアン・ヴォルク=ワイス(Brian Volk-Weiss)監督のドキュメンタリー・シリーズ、『ボクらを作った映画たち(The Movies That Made Us)』はご覧になられましたか? 過去の大ヒット映画の製作の裏話が観られるドキュメンタリーで、映画好きの人だったらかなり楽しめる作品だと思います。
で、そのシーズン2の中では、今回の映画『フォレスト・ガンプ』が取り上げられています。ちなみにシーズン2では、他にも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『プリティ・ウーマン』、『ジュラシック・パーク』が取り上げられています(『プリティ・ウーマン』の脚本を巡る話とかは特に面白いですよ)。
ご覧になっていない方は、以下で『ボクらを作った映画たち』のシーズン2のトレイラーをご覧ください。
最後に次回の記事の予告をしておきます。
今回、映画『フォレスト・ガンプ』から暗に伝わってくる政治性という点に目を向けながら書いている中で、ふとある映画を思い出しました。2009年に公開されたザック・スナイダー(Zack Snyder)監督の『ウォッチメン(Watchmen)』です。
映画『ウォッチメン』でも、ベトナム戦争を含む20世紀のアメリカの歴史が、その再考を迫るべく全く別の視点から描かれています(ただし、架空のアメリカのもう一つの歴史を経由する形でですが)。しかも、前回の記事で、ジミ・ヘンドリックスの「オール・アロング・ザ・ウォッチタワー」が映画『フォレスト・ガンプ』で流れてくるシーンを観ましたが、同曲は『ウォッチメン』の重要な一場面でも使われています。
ということで、次回は映画『ウォッチメン』を取り上げて、その中で、ちょっと気になる箇所について、少し調べながら書いてみたいと思います。
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