ブログについて

映画やTVドラマなどを観ていて、その中で流れてくる音楽、撮影に使われた建築やセットのデザイン、舞台の背景となるインテリア、登場人物が手にしているガジェットやプロダクトなどが気になったことはありませんか?
このブログでは、映画やTVドラマの中に登場するさまざまなものを調べて紹介していきます。そうしたものにも目を向けてみると、映画やTVドラマが今まで以上に楽しくなるはずです。映画、TVドラマ、音楽、建築、インテリアのどれかに興味がある方に、また自分と同じようにそのどれもが寝ても覚めても好きでたまらないという方に、面白いと思ってくれるような記事を発見してもらえたらという思いで書いています。


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執筆者:伊泉龍一(いずみりゅういち)

ブログ以外には、以下のような書籍の翻訳をしたり、本を書いたりもしています。


60sカウンターカルチャー ~セックス・ドラッグ・ロックンロール
ロバート・C・コトレル 著 伊泉 龍一 訳
『60sカウンターカルチャー ~セックス・ドラッグ・ロックンロール』


ドン・ラティン 著
『ハーバード・サイケデリック・クラブ ―ティモシー・リアリー、ラム・ダス、ヒューストン・スミス、アンドルー・ワイルは、いかにして50年代に終止符を打ち、新たな時代を先導したのか?』



デヴィッド・ヘップワース 著
『アンコモン・ピープル ―「ロック・スター」の誕生から終焉まで』



サラ・バートレット 著
『アイコニック・タロット イタリア・ルネサンスの寓意画から現代のタロット・アートの世界まで』



ジェイソン・ヘラー 著
『ストレンジ・スターズ ―デヴィッド・ボウイ、ポップ・ミュージック、そしてSFが激発した十年』



ピーター・ビーバガル 著
『シーズン・オブ・ザ・ウィッチ -いかにしてオカルトはロックンロールを救ったのか』

「ポスト・スペースインベーダー」の時代のアーケード・ビデオ・ゲーム——映画『スターウォーズ』のTIEファイターとナムコの『ギャラクシアン』。アタリの『アステロイド』

ビデオ・ゲーム  映画   / 2023.02.23

 前回は、1982年の映画『トロン(Tron)』の話から、『ポン(Pong)』や『スペースインベーダー(Space Invaders)』といった70年代に大流行したアーケード・ビデオ・ゲームへと話が移ってしまいました。

 その流れで今回からは、映画『トロン』の公開前の1980年に日本のナムコからリリースされ、アメリカでも大ヒットした『パックマン(Pac-Man)』、及びそのリリース直前のアーケード・ビデオ・ゲームについて、少し調べて書いてみたいと思います。

 まずは『パックマン』に先立って当時大人気となったビデオ・ゲームの話から始めます。

 前回も述べたように、日本のタイトーから1978年にリリースされた『スペースインベーダー』に続き、1979年には日本のナムコからは『ギャラクシアン(Galaxian)』、アメリカのアタリからは『アステロイド(Asteroids)』がリリースされました。

 どんなゲームかを知らない方もいらっしゃると思いますので、まずは『ギャラクシアン』を以下に掲載しておきます。

ナムコのアーケード・ビデオ・ゲーム『ギャラクシアン』

 ご覧の通り、プレイヤーは下部で宇宙船(ギャラクシップと呼ばれる)を左右に動かし、次から次へと急降下しながらミサイルを放ち攻撃してくるエイリアンを迎え撃ちます。

 プレイしたことがある方ならご存じの通り、プレイヤーは1度に1発しかミサイルを発射できず、エイリアンに命中させるか、画面の上部へとミサイルが消えるまで、次が発射できなくなります(要するに連射できないのです)。そのため、『ギャラクシアン』を制覇するには、狙いを定めて正確に的中させるコツを身に付ける必要があります。この制約が『ギャラクシアン』のプレイの面白さを生み出しています(個人的な話をすると、昔、このゲームが本当に大好きで、かなり遊びました。その結果、ほぼエンドレスでプレイできるほどまで上達しました)。

 ファンとしては嬉しいことにも、The Guardianの中のKeith Stuart氏の2021年5月13日の記事‘The 15 greatest video games of the 70s – ranked!’では、『ギャラクシアン』が70年代の最高のビデオ・ゲームのランキングで1位となっていました(『スペースインベーダー』は3位でした)。同記事でKeith Stuart氏は『ギャラクシアン』を次のように評しています。

 「『スペースインベーダー』が最初に成功したが、『ギャラクシアン』は、その鮮明なマルチカラーのグラフィック、急降下爆撃する敵、きらめく星界の背景によって、スペース・シューターのジャンルの未来を見せてくれた」。

 今回、『ギャラクシアン』のことを少し調べてみようと思い、80年代から90年代の日本のゲームの開発者に関連する記事やインタヴューを英訳しているサイトshmuplationsを覗いてみたら、同ゲームの開発者である澤野和典氏のインタヴューが英訳されているのを見つけました。

 それによると、『ギャラクシアン』を製作する際に、ナムコの社長に「ポスト・インベーダー」のゲームでなければならないと明確に言われ、澤野氏はものすごいプレッシャーだったそうです。そして、『スペースインベーダー』から多くの手がかりを得ると同時に、映画『スターウォーズ』の銀河間戦争にも触発されたとのこと。そもそも『ギャラクシアン』の開発の初期の頃は、敵のエイリアンを『スターウォーズ(Star Wars)』のTIEファイター(TIE Fighter)のような船として想像していたと澤野氏は述べています。

 TIEファイターは、『スターウォーズ』のファンにはお馴染みですね。そのデザインは、アメリカのコンセプト・アーティストのコリン・キャントウェル(Colin Cantwell) によって製作された、そのコンセプト・モデルに、同映画のヴィジュアル・エフェクツ・アーティストを務めたジョー・ジョンストン(Joe Johnston)が細部を追加して出来上がりました。

 以下は、コリン・キャントウェルが製作したTIEファイターのプロト・タイプの模型です。以下の画像は、FORCE MATERIAL
のRohan Williamsの記事’Suit & TIE: The origin of Darth Vader’s TIE Fighter’から引用しました。

コリン・キャントウェルが製作したTIEファイターのプロト・タイプの模型

 キャントウェルは、TIEファイターだけでなく、『スターウォーズ』の中のデス・スター(The Death Star)、Xウィング(X-Wings)、Yウィング(Y-Wings)のプロト・タイプも考案しています(この話についていろいろ書きたいのですが、ここでそれを始めてしまうとは長くなりますので控えておきます)。キャントウェルの『スターウォーズ』への功績について詳しくは、THE RIVERの中のアクトンボーイ氏の記事「【あなたの知らないスターウォーズ】スター・デストロイヤーをデザインした男、コリン・キャントウェルのデザイン哲学と隠れた功績」に分かりやすい解説がありますので、どうぞそちらをお読みください。

 ちなみにキャントウェルは、『スターウォーズ』以前、スタンリー・キューブリック(Stanley Kubrick)監督『2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)』にもヴィジュアル・エフェクツで参加していました。詳しくは、キューブリックに関する情報を徹底的にまとめてくださっているKUBRICK. blog. jpの記事「『2001年宇宙の旅』に特殊視覚効果スタッフとして参加していた、コリン・キャントウェルが90歳で逝去」を、お読みください(記事のタイトルにもあるように、コリン・キャントウェルは2022年5月21日に90歳で亡くなられました)。

 話を『ギャラクシアン』に戻します。結局のところ、実際の『ギャラクシアン』の中で攻めてくる敵のデザインは、TIEファイターを模したものではなく、ご覧の通りのエイリアンの姿形になっています。そのことに関連して、澤野氏は前述のインタヴュー記事で次のように述べています。

 「真に優れたゲームとは、グラフィックに関係なく、人々を引き込み、感情的に熱中させることができるゲームだと思っています。 もっと率直に言うと、グラフィックが単純な三角形や円であったとしても問題ではありません。 チェスを見てください。 チェスの駒には、個性や「キャラクター」がそれほどあるわけではありません。 それでも、これは最も奥の深いゲームの 1 つです」。

 おっしゃられている通りですよね。その後、ビデオ・ゲームが発展を遂げていく中、どんどんグラフィックは美しく精緻になっていきます。もちろん、グラフィックの進化は素晴らしいことであり、歓迎すべきことです。ですが、ゲーム自体の面白さに、それが必ずしも比例しているとは限りませんよね。

 しかしながら、最先端のビデオ・ゲームやVRの発展に目を向けると、本当に驚かされます。しっかりとした世界観と緻密に練られたストーリー、目の前に広がっていく3Dの臨場感あふれる映像、煽情的な音楽やリアルな効果音によって与えられる感動という意味では、今や映画へと近接するばかりか、インタラクティヴという点から言えば、映画では不可能な体験を得られます。

 それでも、この時代の単純なビデオ・ゲームの魅力が失われることはないでしょう。今でも実際にプレイしてみると、画面上を移動するシンプルなアイコンと生理的に訴えかけてくる刺激的なサウンドだけで、どれほど中毒性のある快楽が生じさせられるかを実感できます。

 熱心なビデオ・ゲーム・ファンの方にはご承知のことなのかもしれませんが、『ギャラクシアン』の生みの親、澤野和則氏のゲーム開発と半生が記された、ぜくう著・監修・翻訳、ゲー夢エリア51編集『ギャラクシアン創世記 ー澤野和則伝ー』(密林社、2017年)という本も出ていたんですね(私自身は今回調べるまで知りませんでした)。本書の後半には『ギャラクシアン』開発のいきさつを語るインタビュー記事も含まれているようです。今現在(2023年2月23日)、アマゾンで調べてみたら、非常に残念なことにも在庫切れでした。どこかで見つけたら、ぜひとも読んでみたいです。

 さて、アメリカのアタリから同年にリリースされたもう一つのビデオ・ゲーム、『アステロイド』も見てみましょう。同ゲームは、アタリのシニア・エグゼクティヴだったライル・レインズ(Lyle Rains)の発案を基に、ゲーム・デザイナーのエド・ログ(Ed Logg)によって開発されました。レインズは自分が「『アステロイド』の父」だとすれば、「9カ月間それと共生し、完成品を産み出さなければならなかった」ログがその「母」だと述べています(レインズの発言は、The Arcadee Bloggerの中の記事‘Atari Asteroids: Creating a Vector Arcade Classic’から引用)。

 ちなみに、前述のThe Guardianの記事‘The 15 greatest video games of the 70s – ranked!’では、70年代の最高のゲームとして、『アステロイド』が『ギャラクシアン』に次いで2位にランクされていました。プレイしたことがない方は、以下の動画をご覧ください。

アタリのアーケード・ビデオ・ゲーム『アステロイド』

 シンプルきわまりないグラフィックではありますが、『アステロイド』の醍醐味と言えば、自機を横移動させることしかできなかった『スペースインベーダー』や『ギャラクシアン』とは違って、プレイヤーの宇宙船の向きを左右に360度変えることも、前進させることもできる点です。さらにハイパースペース・ボタンを押すと、宇宙船を一瞬画面から消し、ランダムに別の場所へ出現させることもできます。

 上記の画像を見ているだけだど(つまり実際にプレイしてみないと)想像し難いとは思いますが、『アステロイド』もかなり中毒性のあるゲームです。実際にリリース後すぐに、とりわけ北米では大ヒットしています。

 Steven L. Kent氏の著書The Ultimate History of Video Games, Volume 2 Nintendo, Sony, Microsoft, and the Billion-Dollar Battle to Shape Modern Gaming(Crown, 2021)によると、『アステロイド』は70,000 台以上が販売され、アタリ史上最高の売り上げを誇るアーケード・ビデオ・ゲームとなりました。

 ただし、それでも『スペースインベーダー』には及びませんでした。発売元のタイトーは『スペースインベーダー』を世界中で360,000台を売っています。実はそれを追い抜くことになるビデオ・ゲームこそが翌年にリリースされる『パックマン』で、400,000台の売り上げを記録することになります。

 作家でジャーナリストのデヴィッド・オーウェン(David Owen)氏は、1981年2月1日の『エスクァイア(Esquire)』誌の中で、当時のアメリカでの『アステロイド』の熱狂に関する’Invasion of the Asteroids’という興味深い記事を書いています。その中で、このビデオ・ゲームの特徴を次のように述べています。

 「『アステロイド』はチェスのような知的なゲームではない。 それは正確に研ぎ澄まされた反射神経と鋭い空間感覚を要求するゲームであるスカッシュやハンドボールのようなペースの速い身体的スポーツの方とより共通している。 時には圧倒的な量の視覚情報を処理し、それを素早い一連の巧妙な指の動きに変換することを身に付けた人が、最高のプレイヤーである。 ……プレイヤーは、コンピューターに指示された敵のドキドキさせられる大群に立ち向かい、窮地から抜け出すたびに、脳をゾクゾクさせるアドレナリンの注入を経験するのだ」。

 「アドレナリンの注入」という言い方は、この種のビデオ・ゲームにはまったことがある人なら、よく分かる感覚ですよね。この記事を書いたデヴィッド・オーウェン氏自身も、実際に『アステロイド』へ夢中になってしまったようで、さらに次のようにも書いています。

 「ここ4 か月間、私自身も『アステロイド』中毒者だった。ビデオ・ゲームに夢中になることは、たとえばヘロインに耽溺するほど破壊的ではないとはいえ、『アステロイド』依存は、私のライフスタイルに明確な変化をもたらした。 戸口をのぞき込み、暗闇に小惑星モニターのかすかな灰色の輝きを探すことなく、バーを通り過ぎることはもはやできない」(引用文を含め同記事は、DAILY BEASTの中のDavid Owen氏の記事‘Asteroids’ and The Dawn of the Gamer Age’に転載されている文章を参照)。

 長い引用文になってしまいました。ですが、これを読むと『アステロイド』の中毒性がいかなるものだったかが、当時の生の声を通じてリアルに伝わってきませんか? それにしても『アステロイド』に夢中になっている状態を、当時流行していたドラッグを引き合いに出して語るというのは、日本人からすると、いかにもアメリカ的な感じがしますよね。

 さて、こうした70年代を代表する重要なビデオ・ゲーム『ギャラクシアン』と『アステロイド』がリリースされ、シューティング・ゲームが大流行する中、翌年の1980年に本題の『パックマン』が登場することになるわけです。

 もちろん、同年には『パックマン』以外の新作ビデオ・ゲームもリリースされています。ここでは、どれほど『パックマン』がユニークだったかを実感していただくために、同年にリリースされて大きな反響を呼んだ3つのビデオ・ゲームについても、先にざっと紹介しておきたいと思います。

 いやしかし、「ざっと」とは言ったものの、もしかすると書き始めると長くなりそうな気がしないでもないので、今回はこの辺にして、続きは次回へ譲ります。

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